月刊隆史 2021年5月号 “未熟に願う”

僕が今何をしているかというと。

僕が今何をしているかというと、新しく購入したUBSハブにオーディオインターフェースを挿したところだ。オーディオインターフェースはパソコンに接続されたことを確認するとライトの点滅が止まるのだが、なぜだかまだ止まっていない。もう一回挿し直そうと、ハブに繋がっているUSBケーブルに手を伸ばすと、思っていたよりも丸みを帯びていた。それを何度も挿し直したが反応がない。仕方なく机の向こう側が見える場所まで移動した。丸みを帯びていたケーブルは外付けのカメラから伸びているケーブルだった。オーディオインターフェースのケーブルはブラブラとただ垂れ下がっていた。

えぇ、なるほど。

それが何か?

そんなくだらない事で人生は進んでいく。このレベルのクオリティのイベントに貴重な生を費やしていいなんて。そう考えると、めちゃくちゃテンションが上がるな。僕が今何をしているかというと、そんな気楽さを謳歌している。

面白いほど時間がないとか。

完全に忘れていた。今日は5/31だ。

おそらく、僕は今人生最後の受験生活を送っていて、この月刊隆史に時間を割く事ができないでいる。だらけている時間はあるし、遊んでいる時間はある。でも、不思議なもんで、長い目でみて実現したい事や長い時間をかけなければ実現できない事には、そういう「在る余裕」を充てる事は難しい。きっと、こういう所に、僕の人間としての未熟さが表れているんだなと、常々思っている。そんな視点を中途半端に持っているおかげで、「時間がない」なんて言えないなあと、常々思っている。

今思い出したが、中学三年生の頃の自分のブログにも全く同じ事を記していた気がしてきた。半月もすれば21歳になるというのになんと未熟な事。

今思ったが、未熟というのはネガティブな様で楽観的な言葉だ。どこか「来るべき熟した自分」という幻想を期待している。

あぁ、未熟であります様に。未熟であります様に。

(ここにタイトル)

ここには、のちに曲が入る予定だが、これは今月の歌というテイだ。だから、せめてタイトルくらいは決めておこうと思う。いや、そのなんとなくの性質だけでもいいかもしれない。

そうだな。「受験生活が終わった後に初めて発した言葉」がいい。それを忘れてしまったら「忘れていたことを気づくより前に発した最後の言葉」にしよう。わくわく。

来月には21歳らしい。

だからといって、なにが変わるわけでもないのだが。

成人してからの第一回戦は、勝敗で言ったらきっと負けだ。ここで、あまり悔しくない現状も怖いのだが、幸せなことを怖いと感じてしまうのはプラクティカルに考えて損かもしれないので気楽に行こう。こういうことの妥協の積み重ねで、どんどん大人になってしまうのだろうが。

ふぅ。一ヶ月後の勝負が楽しみだ。と、言っておこう。

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