月刊隆史 2021年5月号 “未熟に願う”

僕が今何をしているかというと。

僕が今何をしているかというと、新しく購入したUBSハブにオーディオインターフェースを挿したところだ。オーディオインターフェースはパソコンに接続されたことを確認するとライトの点滅が止まるのだが、なぜだかまだ止まっていない。もう一回挿し直そうと、ハブに繋がっているUSBケーブルに手を伸ばすと、思っていたよりも丸みを帯びていた。それを何度も挿し直したが反応がない。仕方なく机の向こう側が見える場所まで移動した。丸みを帯びていたケーブルは外付けのカメラから伸びているケーブルだった。オーディオインターフェースのケーブルはブラブラとただ垂れ下がっていた。

えぇ、なるほど。

それが何か?

そんなくだらない事で人生は進んでいく。このレベルのクオリティのイベントに貴重な生を費やしていいなんて。そう考えると、めちゃくちゃテンションが上がるな。僕が今何をしているかというと、そんな気楽さを謳歌している。

面白いほど時間がないとか。

完全に忘れていた。今日は5/31だ。

おそらく、僕は今人生最後の受験生活を送っていて、この月刊隆史に時間を割く事ができないでいる。だらけている時間はあるし、遊んでいる時間はある。でも、不思議なもんで、長い目でみて実現したい事や長い時間をかけなければ実現できない事には、そういう「在る余裕」を充てる事は難しい。きっと、こういう所に、僕の人間としての未熟さが表れているんだなと、常々思っている。そんな視点を中途半端に持っているおかげで、「時間がない」なんて言えないなあと、常々思っている。

今思い出したが、中学三年生の頃の自分のブログにも全く同じ事を記していた気がしてきた。半月もすれば21歳になるというのになんと未熟な事。

今思ったが、未熟というのはネガティブな様で楽観的な言葉だ。どこか「来るべき熟した自分」という幻想を期待している。

あぁ、未熟であります様に。未熟であります様に。

(ここにタイトル)

ここには、のちに曲が入る予定だが、これは今月の歌というテイだ。だから、せめてタイトルくらいは決めておこうと思う。いや、そのなんとなくの性質だけでもいいかもしれない。

そうだな。「受験生活が終わった後に初めて発した言葉」がいい。それを忘れてしまったら「忘れていたことを気づくより前に発した最後の言葉」にしよう。わくわく。

来月には21歳らしい。

だからといって、なにが変わるわけでもないのだが。

成人してからの第一回戦は、勝敗で言ったらきっと負けだ。ここで、あまり悔しくない現状も怖いのだが、幸せなことを怖いと感じてしまうのはプラクティカルに考えて損かもしれないので気楽に行こう。こういうことの妥協の積み重ねで、どんどん大人になってしまうのだろうが。

ふぅ。一ヶ月後の勝負が楽しみだ。と、言っておこう。

月刊隆史 2021年4月号『誕生に寄せて』

序章

多くのホモサピエンスは、衝動的になんらかの行動をしたくなりがちである。自分も例外に漏れず、よく曲を作りたくなるし、よく文章を書きたくなる。しかし、衝動的な始まりには緩やかな終わりがつきものであって、その様な衝動をなんらかのまとまった成果としてまとめるというのは至難の技である。

ある日、浴槽でお湯に浸かりながら、衝動的にこんなことを考えた。

「周期的にくる衝動を恒常的な欲望と等価なものに変換するためには、時間を”衝動が現れる周期のスケール”で離散化すればいいのではないだろうか。」

高尚そうなアイデアだ。僕は体を拭きながら、この仮説を検証することを決めた。

「成る程、僕の場合は一ヶ月に一回くらいは曲や文章を残すことへの衝動が訪れる。その成果物を一ヶ月周期で制作するということを最初から決めておけば、僕の衝動的な欲望は恒常的な欲望と区別が付かなくなるということか。」

一見高尚なアイデアが、『月刊隆史』という平凡な結論に落ち着いた瞬間であった。

音を鳴らす行為に論理的にたどり着きたい。

自分は天才ではない。

最近になってようやく、まだ完全にではないにせよ、だんだんと正面から受け入れる事ができる様になってきた気がする。古今東西、あまりにも多くの天才性を目撃しすぎたせいかもしれない。あるいは、”天才でない”という事が”目標を諦めるべきである”という事を意味しない事にしっとりと気が付いてきたからかもしれない。いずれにせよ、どの様な意味に於いても僕は天才ではない。

天才でもない人が、音楽などを作って誰が得をするのだろうか。

これまで制作してきた曲は、そんな観念に囚われてほとんど公開していない。中には自分でも気に入っている曲もいくつかあり、それらを一人で聞いて楽しむことも珍しい事ではない。よく考えてみるとそれはそれで、原始的で純粋な音楽というものを体現している気もしている。そんな気もしていて、そんな気はしているのだが、それが単なる言い訳だということを僕は知っている。つまるところ、僕は自分の曲を公開することを味方してくれる様な筋の通った言い訳を、これまで見つけることが出来なかったのだろう。

言い訳がなければ行動に移せないだなんて、そんなにも情けない事があるだろうか。さて、情けない人類の一人である事が明らかになった僕は、再びその称号を受け入れることにした。なぜなら、自分が天才ではないと受け入れたおかげで、この問題に対する僕なりの解決を見たからだ。

何千回も歌われた様な歌詞をもう一度歌うということは、何億回も生み出された人類として凡庸な自分が存在していることくらい無価値である。それを考えれば、自分が生きていて良いことと同様に、何度でも無価値な歌を塗り重ねてよかろう。

誕生に寄せて

※ここには後に曲が入る。ひとまずその為の場所取りをしておく。

裏序章

つまるところ、これは20歳を終える事への焦りだ。

予定説的な焦り、なんとしてでもその証拠を作らなければならないとそう感じている。

「物理学におけるリー代数」 2章のメモ Part 1

どんな章か

物理学で頻出のリー群やリー代数の概念とその一般的な構造について概観した後に、それらが一章で導入した表現論の視点から解釈をできるという事を論じる。

論理の流れ

リー群

リー群の定義は、要は滑らかな群である。wikipediaとかには群構造を持つ可微分多様体とかって書いてあるけど、多様体の定義をひとまず理解したい様な最初の段階ではそんなに大きな意味を持っているわけではないので、気にしなくていいと思う。あと、僕が最初に勉強した時には「リー群ていうかっこいい名前がついているくせに、こんな単純な定義・概念でいいのか」とか不安に思ってしまったが、実際概念自体はとても単純なものであった。実際、離散的じゃない群ってだいたいリー群だと思っていい。

リー群の具体的な定義は本を参照するとして、その構造について考えよう。特にしっかりとイメージできていると嬉しい事項としては、「リー群の単位元の近傍にはその群に関する多くの情報が詰まっている」という事が挙げられると思う。感覚的な説明としては、「単位元とその周りの構造」と「単位元以外のとある点とその近傍の構造」は一致しているので、単位元の近傍の構造さえ知ってしまえば、その情報は群全体の構造の理解にも大きく貢献しそうだ。しかし、補足しておくと、おそらく単位元の近傍から得られる情報は群に関する完全な情報を提供するかと言われれば、おそらくそうではない。単位元の近傍で与えられる情報はあくまで局所的なものであり、大域的な位相構造などに関しては情報を提供してくれない。

さて、リー群に具体的に何らかの表現を与えたとしよう。その上で、単位元近傍でテーラー展開をすることを考える。その時、通常のテーラー展開ではxに相当する様な、テーラー展開に使用する文字が必要になる。その文字は群からいくつか適切な元を選ぶ事になるだろう。そうして選んだ元の集合を利用したテーラー展開によって、群の任意の元を表す事ができる時、選んだ元の集合を群の生成子と呼ぶ。特に、その様な集合の位数(個数)が最小になる様にした時、その集合の元は全て独立である。なおここで、もし採用した表現がユニタリー表現の場合には、生成子の集合に属している行列はエルミート行列となる。

群は必ずしもベクトル空間になっているわけではないが、一方その群の生成子はベクトル空間を成している。直感通りベクトル空間の方が我々には扱いやすいので生成子からなる空間について考える事にしよう。その結果出てくるのがリー代数という代数系である。

リー代数

代数とは数学の分野名でもあるが、多元環という代数系の別名でもある。紛らわしいが、ここでは多元環の意味で代数という呼称を使用する。

さて、「代数」は環とセットで「環R上の代数」の様に定義される。Aが環R上の代数であるとは、「①Aが環R上の加群であり②双線形写像を持っている」という様に定義される。

特に今回興味があるのは特に、環Rが体である時なので定義は次の様になる。体K上の代数とは「①体上のベクトル空間であり②双線形写像を持っている」ものである。(体K上のベクトル空間と体K上の加群の別名である。)

ここで、先ほど考えていたリー群の生成子の集合を考えよう。生成子からなる集合はベクトル空間となるのだった。なので、生成子が代数となるために必要な事は生成子等の間で双線形な写像が構成できればいいということであるが、その写像は実際に存在する。

上述の双線形写像は次の様な論理で主張/構成する事ができる。まず、リー群の恒等元の近傍の元は群の生成子の指数関数の形で表現できる。次に、その表現が確かに群の表現となるための条件を考えると、「二つの元の交換関係を取る」という演算は双線形であり、かつ演算が生成子の集合上で閉じているという事がわかるのだ。この事によって、生成子の集合は代数となる事がわかる。この代数の事をリー代数と呼ぶ。構成方法から明らかに、リー群に対してリー代数は一意的に定まるが、同じリー代数を持つ様なリー群は一意には定まらない。しかし、もちろんある程度の対応は持っており、同じリー代数を持つ様なリー群は局所的な位相構造が同型である。

先ほど述べた「リー群の単位元の近傍は局所的な多くの情報を持っているが、大域的な情報は持っているわけではない。」という主張は、「リー群からリー代数は一意に定まるが、同じリー代数を持つ様なリー群は一意には定まらない。しかしながら、同じリー代数を持つ様なリー群は局所的な位相構造が同型である。」という、より具体的な主張へと対応づけられる。

疑問と曖昧な点

以下の通り。
・ユニタリ表現のリー群の場合、生成子がエルミート行列になるという事実。
・リー群の生成子を取るところや、生成子による指数関数でリー群の単位元の近傍を表現できる点などの論理や存在性などが曖昧。

「物理学におけるリー代数」1章のメモ Part 2

これは、Part 1の続きです。

内容

表現論に関する基本的な定理たち

以上で基本概念の定義と応用例の大まかなイメージを与えた。そこでは証明なしでいくつかの主張を記した。その証明の概略等をここでは与えるかもしれないし、そうでないかもしれない。

まずは、「有限群の任意の表現はユニタリー表現に同値である」という主張の証明について。証明の方針としては、具体的に有限群の表現が一つ与えられたとして実際にそれをもとに同値なユニタリー表現を構成して、それが本当にユニタリー表現となっているのかを証明している。この証明の方針自体はごくありふれた物だと思うが、実際にどの様にすればユニタリ表現を構成出来るのかを分かっておく事は意味のある事だろう。それさえ覚えておけば、数学を知っている人が自分だけになっても証明をすぐに書くことができそうだ。

具体的な方法とは、以下の通りである。まず、元の表現において、もとの群Gの元gに対応する線形演算子をD(g)とした時に、S=ΣD†(g)D(g)の様に演算子Sを定義する。但し、Σの範囲に関しては、gをGの元全体を動かすものとする。(この時、総和の各項はエルミートであり、従ってS自体がエルミート演算子である。さらに、証明は省略するがこの行列は半正定値である。)次に、Sの平方根となる様なこれまた半正定値エルミート行列をXとする。(行列の平方根は、一般には存在や一意性については保証されないが、今回の状況においては存在については保証される。一意性に関しては、正定値であれば保証されるらしいが、あまり深く理解していない。スペクトル論等をしっかり理解すれば習得できるんだろうと思いつつまだ理解できていない。)以上の準備を終えれば、所望のユニタリー行列はD'(g)=XD(g)X^{-1}の様にすれば得ることが可能である。

次に、「有限群の表現は完全可約である」という主張の証明について。この証明は、任意の有限群の表現がユニタリ表現へと帰着できるという主張の成立を活用しながら示す。おおよその方針としては、以下の通りである。完全可約とは要するに、空間をいくつかの不変部分空間へと余すことなく分割できるということである。従って、ある不変部分空間への射影演算子をPとした時に、その不変部分空間の余集合への射影演算子1-Pを定義し、それが不変部分空間への射影を与えることを示せば良い。その時にポイントとなるのは、不変部分空間への射影を与える射影演算子が満たす事を表す条件式(1.11)を利用するという事である。

群論の続き

群論のちょっとした概念の定義を。とりあえず部分群、剰余群、商空間、同型くらいは義務教育の範疇としよう。

群Gの正規部分群H(不変部分群)とは、部分群Hであり、Gの任意の元gに対しgH=Hg(もしくはgHg^{-1}=Hでも同値)という条件を満たすものである。群論では正規部分群の方が頻出の呼び方だとは思うが、この本では不変性の方に重きを置いた呼び方をするのかもしれない。

正規部分群と似た形で、共役類も定義される。共役類とは、群Gの部分集合Sであり、群Gの任意の元gに対してgSg^{-1}=Sが成立する集合である。

因子群とは、Hを正規部分群としてG/Hである。つまり、群論で剰余群と呼んでいるものだ。

群の中心とは、群の任意の元と可換な元の集合である。この集合は自動的に部分群となる。さらにそれだけではなく、自動的に正規部分群であり、自動的にAbel群である。従って、群の中心は、最大の正規部分Abel群という特徴づけも可能だろう。

群の同型に関する事としては、次のことを抑えていれば良さそうだ。自分自身への同型は自己同型と呼ばれ、二種類に大別される。一つは、内部自己同型と呼ばれるもので群Gのある元gを用いてgGg^{-1}→Gの様に表現できる自己同型である。他方は、外部自己同型と呼ばれ、内部自己同型の様には表せないものがそちらに属する。

Schur(シューア)の補題

名前がよくShorのアルゴリズムとかと混じるけれど、表現論において非常に基礎的な定理だから、証明も頭に入っていると、それなりに見通しが良くなるだろう。もしくは、自分は表現論の基礎の証明をしっかり追ったんだ、という安心感も得られるだろう。なお、今回は表現論という文脈の上で、Schurの補題について考えるが、他の分野の文脈では大幅に主張の見た目が異なることには注意が必要だろう。

定理の主張としては、前半と後半に分けて考えることができる。(特に順序はないが、この順番で示す事により、後半の証明で前半の議論を利用する事ができる。)まずは以下の式を(*)とでも置いておこう。

Gの任意の元gに対し、D1(g)A=AD2(g)が成立 ・・・(*)

定理の前半の主張は次の通りである。「(*)の時、D1, D2が群Gの同値でない既約表現ならば、A=0である。」このことの証明の概略は次の通りである。まず、Aに右から作用した時に0となる様なベクトルが存在する場合には、その様なベクトルからなる集合が空間全体と一致する事を示す。それが示されれば、その様な線形演算子は0しかない為主張と合致する。その為には、上述の「Aに右から演算させた時に0となる様なベクトルの集合」への射影演算子を定義すると、(*)の式を利用しながら示す事ができる。さて、今考えたのは「Aに右から作用した時に0となる様なベクトルが存在する場合」のみであるので、次にそうではない場合、すなわち「Aにいかなるベクトルを演算させても0にならない場合」について考える。その様なAとはよく考えてみれば、単なる正則な正方行列である。その場合には、Aの逆元であるA^{-1}の存在などを利用すると、D1とD2が同値の表現となる事を示せる。しかしながらそれは、定理の前半の主張の仮定に反するので、背理法によって「Aにいかなるベクトルを演算させても0にならない場合」は存在しない事がわかる。以上によって、Schurの補題の前半部分が示された。

さて、続いて定理の後半の主張は次の通りである。前半ではD1とD2が同値ではないという条件下で考えたが、後半ではそうではない場合、すなわち、D1とD2が同値な表現である場合について考える。ただ、同値である場合には簡単な線形変換によって同じ表現へと変換が可能なので、今後はどちらもDと記そう。それを踏まえた上で、後半の主張は「(*)の時、D1=D2=Dであり、さらにDは有限次元の既約表現とする。その時、Aは単位行列の定数倍である。」というものである。以下に証明の概略を記す。まず、登場する行列が有限次元であることから、Aに関する特性方程式det(A-λI)=0は(代数学の基本定理によって)少なくとも一つは根をもち、それは特性方程式の解なので要は固有値である。次に、D(A-λI)=(A-λI)Dと(A-λI)に右から作用させると0になる様なベクトル(固有ベクトル)の存在を合わせると、状況としては定理の前半の主張の証明における「Aに右から作用した時に0となる様なベクトルが存在する場合」と一致している事がわかり、同様の議論によって、(A-λI)=0、すなわちA=λIを得る。

以上によって、主張は示された。特に後半の主張の条件として「有限次元表現である」という点は抜け落ちそうな点である。

この定理からわかる興味深い結論としては、「”有限次元の既約表現”の基底の選び方(つまり同値な表現への変換)の自由度はせいぜい定数倍のみである。」というものが挙げられる。実際、Schurの補題の後半の主張を少し変形すると、A^{-1}DA=Dとなる様なAは単位行列の定数倍、すなわち、定数のみである事がわかる。

Schurの補題の応用

Schurの補題の応用例を物理に見出す事ができる。

ある(我々が物理の系に対して要請するローレンツ対称性や並進対称性などの様な)対称性の変換の元で、不変である様な物理量に関して、Schurの補題を利用する事によって得られる多くの情報がある。

まずは、系の情報を全て持つ様なヒルベルト空間における表現を既約表現に分解する。各既約表現をDa, Db, Dc等と置き、その不変部分空間をa, b, cなどの添字でラベリングする。次にそれぞれの既約表現の中の状態(数学的には既約表現が表現しているおおもとの群の元)をi, j, kとラベリングする。さらに、同一の既約表現に従う物理量などが系に複数存在した時を考慮して、それらを添字x, y, zで区別する。すると、系全体の状態を表すヒルベルト空間はこれらの三つの指標を用いて構成される様な基底を持つと考える事ができる。いくつか、イメージを改めて膨らませておくと、aの指標を持つ基底で張られる部分ヒルベルト空間は既約表現Daの不変部分空間となっている。

以上の記法の元で、対称性の変換の下で、不変である観測量の演算子がOで表されている状況を考える。その観測量が不変であるという条件からOとD(g)が交換するという事を示す事ができる。心を落ち着けて(1.50)~(1.52)くらいを眺めてればじきにわかる。そこで得られる交換関係を利用する事によって、Schurの補題を適用する事ができる式(1.56)を導く事が可能である。実際に

Schurの補題を適用すると、上述のa, i, x等で指定される基底における演算子Oの行列要素が持つ各変数への依存性を明らかにできる。具体的には(1.57)の様な依存性を持つ。既約表現やそれが表現する変換群の元(すなわち変換)に対する依存性は具体的にクロネッカーのデルタで与えられたが、様々な物理量を区別する為の指標であるx,yなどへの依存性は表現論のみからは確定させる事ができず、ある意味で物理学の理論のための自由度が残されていると考える事ができよう。

疑問や曖昧な点

・Sが半正定値行列である事の証明を怠った。
・スペクトル理論でやった様な行列に関する基礎的な計算の性質などを忘れた。

「物理学におけるリー代数」1章のメモ Part 1

どんな章か

リー代数に関する数学的な性質とか、物理学への応用とかを語る為に必要な代数学とかの基本事項の定義をしたり、あとはその具体例を与えたりする。ひとまずは特に、「表現」と呼ばれるものが何かを抑えればいいでしょう。

内容

基本概念の定義

とりあえず、有限群の範囲でひたすら定義。

群とはとかAbel群とはとかは、小学校で習うはずなのでもうここではメモらない。

群の表現とは、とある群に対して定義されるもので、対象となる群の各元をその群と構造が似ている線形演算子の集合の各元へと対応づける写像である。ここで、構造が似ているとは数学的には、元の群から線形演算子の集合への群の準同型写像が存在する事である。ここで、群の各元を線形演算子に対応づけているのは、よく考えると少しだけ不思議な気もするが、それに関してはp.5の冒頭で語られている。要は、更なる可逆な線形変換によって元の表現と等価でさらに扱いやすいと言う点がどうやら便利らしい。

表現の次元とは、その表現で元の群の各元に対応づけられた線形演算子が作用する空間の次元として定義する。

正則表現とは、群の各元を基底としたベクトル空間へと作用する線形演算子へと、元の群の各元を対応づける事による表現である。勿論、表現の次元とは線形演算子が作用する空間の次元であったので、ベクトル空間の基底の個数とベクトル空間の次元は等しい事を考えると、正則表現の次元とは元の群の位数(元の個数)と一致する。正則表現で対応づけられる線形演算子は単にベクトル空間に作用する線形演算子なので、きっと具体的に行列の形で書き下ろす事ができるはずだ。実際それは可能で、基底の直交性とかを使えば簡単に得られる。定石。常識。モラル。

少し上でも述べたが、可逆な線形変換で表現で対応づけている線形演算子をさらに変換しても、変換後の線形演算子たちも元の群の表現になっているし、いつでも逆変換をすることで元の表現に戻れるのだからそれはは見かけだけが違うものと考えて良いだろう。その様な相似変換(ここでは、可逆の線形変換の意)で繋がれている表現同士を「同値な表現」と言う。この概念は後に活きてくる。たとえば、線形演算子の中で性質が良いものにユニタリー演算子があるが、群の各元をユニタリー演算子に対応づける様なユニタリー表現と言う特別な表現があるのだが、有限群の任意の表現は同値なユニタリー表現が存在することが今後証明される。どんな表現でもユニタリー表現で考えられたら確かに便利そうだ。

不変部分空間とは、線形演算子が作用する空間の中のある条件を満たす部分空間である。その条件とは、任意の線形演算子に対してその部分集合内の元は再びその部分空間に属する、と言う条件である。その様な不変部分空間(で一点集合でも全体集合でもない物)があるときにその表現は可約と言う。反対にその様な空間が一点(原点)のみの集合や全体集合しか存在しない様な表現を既約と言う。表現での線形演算子を不変部分空間のみに制限した物は、再び表現となっている。

可約と言う言葉は、表現をもっと簡単にできそうだな、と言う音の響きがある。その様な期待を持った上で、可約な表現の中でもさらにその度合いが強いクラスが次の通り定義されている。線形演算子は行列の形で書くことができるが、その行列がブロック対角可能である時に、完全可約と言う。ブロック対角化された行列が空間に対してどの様に作用するかのイメージを持っていれば、空間がいくつかの不変部分空間の直和になっていることが想像できると思う。不変部分空間の各々が互いに干渉することなく、その不変部分空間に対応する線形演算子の作用によって独立にグルグルと変換されているイメージだ。ブロック対角化された行列の各ブロックを表現行列による表現を部分表現などと呼ぶ。形式的な書き方だとは思うがこの様な状況において、(空間の直和と似た様な方法で)「表現行列を部分表現の表現行列の直和である」様書き方をするらしい。

完全可約な表現の最も重要な点としては、上でも多少述べたが「完全可約な表現は既約な表現の直和へと分解できる」と言う点である。さらに、後に任意の有限群の任意の表現は完全可約であることが示される。つまり、少なくとも有限群の表現の範囲では可約と完全可約の概念は同じ物だと言うことになりそうだ。一方無限群に関しては、事情は異なる。その例は実際に、1.8節で記されている。

物理的な視点と具体例

以上が「表現」という概念に対する基本的な概念だが、物理ではどう生きるのかを考えておこう。

物理学の中でも特に基礎である量子力学にその応用が豊富にある。量子力学の基本的な思想としては、観測可能な各物理量に対してヒルベルト空間が付随していると言う物だ。系に対するとある線形変換はそれら全ての付随するヒルベルト空間に対して変化を及ぼす。変換というイデアに対して要請される条件としては、変換そのものが群をなすという条件である。この時点では変換に対してなんら具体的な表式は与えられていない。その様に変換によって成される群を変換群と呼ぶ。変換群の元であるとある変換について考えると、その変換によってヒルベルト空間はなんらかの線形変換を受けるはずである。その線形変換の表式は各物理量に付随するヒルベルト空間によって基本的には異なる。しかしそれらの性質にはなんらかの共通点などがあって然るべきである。その共通点こそが、表現論によって浮き彫りにされる物であり、「同じ変換の表現である」という共通点である。

上の記述で多少不正確な点としては、注目する変換に関する制約をしっかり述べていない点がある。変換は量子力学の系が持つ対称性を保つ変換でなければならない。なぜなら対称性がないとなると、変換前後のヒルベルト空間は等価な空間ではなくなってしまうからである。とは書いてみたが、あまり深くは理解できていないかもしれない。まあ、結局実際に使うときのことを考えると、物理学でよく出てくるロジックとしては「とある変換に対して物理系が対称性を持っていて欲しい」という要請が出発点となって、その要請のもとで「各物理量に付随するヒルベルト空間の変換はその変換群の表現になっていなければならない」という制約を加えて理論の方向性を見極めるという論理である。その様なことを理解して居ればここでは十分だろう。

上述の主張の具体例かもしれないが、面白い主張が記されているので書いておこう。対称性変換によってはエネルギーは保存されるので、変換の表現の線形演算子とエネルギー(演算子)は可換(交換関係が0)である。その性質から、「エネルギー固有値を変換群の既約表現として選べる」という主張が言えるらしい。

物理学における重要性がなんとなくわかった。具体例として、パリティ変換に対する表現に関して挙げられている。でもよくわからない。

あと、書く場所がないのでここに記しておくと、行列とは非可換性を持つ表現の表現行列として必ず出てくる。行列とは、非可換性の権化である。

疑問や曖昧な点

以下の通り。
・パリティ変換に関する議論がよくわからない。

Peskin QFT 3.1のメモ

論理の流れ

物理学におけるローレンツ不変性

まず、ローレンツ不変性(ローレンツ変換を受けても物理法則が変わらないと言う性質)が物理学の理論には必要であるので、それを満たす様な理論を考える。では、理論のどの部分から考えれば効率よく理論全体のローレンツ不変性を確認することができるかをまず考えよう。

物理学の理論とはすなわち運動方程式のことである。(場の)解析力学によれば、ラグランジアン(密度)が分かれば一意にその系の運動方程式を導くことができる。(その逆は成立せず、同じ運動方程式を導くラグランジアンは一意ではない。)この事より、物理学の理論はラグランジアンを定めれば決めるのである。

では、物理学の理論をローレンツ不変なものにするには、どんなラグランジアンを使えば良いかと言うと、(幸運にも)ラグランジアンがローレンツスカラーとなっていれば良い。したがって、場の量子論においても、例外に漏れずにローレンツ不変なラグランジアンを基本的な探求対象として、特にそこから導かれる運動方程式が物理現象をうまく説明するものを選べばいいと言うことになる。

最も単純なローレンツ不変な場

と言うわけで、ローレンツ不変なラグランジアンの具体例にはどんなものがあるか振り返ってみよう。その例として挙げられるのがKlein-Gordon方程式が支配するKlein-Gordon場と呼ばれる系である。実際にローレンツ変換を適用したときの関数形の変化などを追えば、ラグランジアンの関数形が変わっていないことがわかる。少し落ち着いて考えると、ラグランジアンから運動方程式を求める過程ではEular-Lagrange方程式でその微分のみを利用する事から、ラグランジアンで重要なのは、値というよりも関数形であることが感じられる。したがって、関数形が変わらないKlein-Gordon場の様な場がローレンツ不変と呼ばれるのである。

Klein-Gordon場はローレンツ不変な場の中で最も単純な場である。それは一成分の場(スカラー場)であるから明らかであろう。さらに多成分の場においてローレンツ不変なものがないかを検討すると、特殊相対論での変観則に従う様なテンソル(勿論、ベクトルを含む)はローレンツスカラーである。さらに各項がそれらからなるラグランジアンもローレンツスカラーである。

ローレンツ不変性を実現する系を一般化

ローレンツ不変なラグランジアンはだいぶ大きなクラスであるという事が分かったが、より一般性を広げたら更なる例が出てく流かもしれないので実際に確かめてみよう。ひとまずローレンツ変換によって線形変換をうける様な場についてだけ制限して考えることにしよう。つまり、非線形変換をうける場については考えないということだ。(しかしながら、非線形変換は結局ここで考えている線形変換から構成することができるので、今回の制限は場の一般性を失わないらしい。)

さて、場の変換はローレンツ変換によって定まるのが自然であるので、場の変換は式(3.8)の様に表されると仮定する。ここで、M(Λ)はローレンツ変換Λによって定まる行列である。

Mが満たすべき性質は、M(・)という写像が、Λ全体からなるローレンツ群からM(Λ)全体からなる群に向かっての準同型写像となっていることである。この様な状況をMはローレンツ群の表現であるという。すなわちローレンツ群の一般的な表現を見つければ、それに対応する場も構成できるかもしれないというわけである。

表現論

ここから先は少しだけ、表現論と呼ばれる分野を知っていると見通しが良い。リー群とは演算が微分可能な群である。例えば、ローレンツ群は時空を回転させる変換の集まりであるので、微小回転と言う概念を考えることができ、したがって微分可能である。その様に定義されるリー群には対応するリー代数と呼ばれる代数系が存在する。リー群に含まれる情報はリー代数に完全に含まれているので、ローレンツ群を考えようとしたときにはそのリー代数を調べると言うのも一つの手段というわけだ。実際その方法がここでは、うまくいく。

要は、数学的にはリー群(ローレンツ群や回転群の表現)に対応するリー代数を見つけようという話である。

リー群の元は、リー代数の元を用いた指数関数の形で表現することができる。さらにリー代数はベクトル空間となっており、そのベクトル空間の基底の組みをリー代数の生成子という。よって、生成子が決まればリー群は自動的にさだまる。そこで、ある元の組が生成子であることと等価な条件を考えることができると便利であるが、交換関係と言うものを使用すると所望の条件を手に入れることが分かる。具体例で確認しよう。

回転群は明らかに連続的で微分可能であり、リー群である。したがって、リー代数や生成子が存在する。実際、ある元の組が回転群の生成子である事はそれらが交換関係(3.12)を満たす事と等価である。これは、生成子の組として、何を採用したとしても同じ関係式を満たすという事である。これは、表現論からの一般的な帰結である。

ここまででは、数学的に回転群の群構造の解明はできた。最後に、物理的な意味を与えるための調整をしよう。ある物理量Aが回転によってとある変換則に従うとき、その変換則はリー群(ここでは回転群)の表現になっている。したがって、物理量と対応づける為には、回転群の生成子を用いて求めたリー群とその変換則を見比べて、生成子の具体的な形を考えれば良い。面白いことにその様に調整したリー代数やその生成子は、具体的な物理量/観測量の演算子に対応づいている。回転群の場合は自然な生成子の組はx,y,z方向の角運動量演算子となっている。

ローレンツ群の表現論

ローレンツ群とは言っても、所詮回転群に時間の軸を加えて少し符号が変わるだけなので、ひとまず回転群の生成子を参考にローレンツ群の生成子を考えてみる。すると、(3.16)の様な形が自然である様に思われて、実際、その生成子からは、ローレンツ変換の6つの変換(ローレンツブーストとローテーション)が生成されることが確認できる。したがって、それらは生成子の組として正当化される。

さらに、その正当化された生成子の交換関係を求めてみると、(3.17)の様になり、交換関係の性質より他の生成子の組を採用しても同様の交換関係を満たすという事が推測できる。

まとめ

場の量子論が特殊相対性理論とコンシステントな理論であると言う条件の下で、最も一般的な場の変換則を求めた。

疑問や曖昧な点

  • リー代数が具体的な物理量に対応する事の論理を忘れた。
  • 交換関係が生成子の取り方に依存しない(?)的なところの論理を忘れた。

【解の存在と一意性】非線形シュレディンガー方程式

あの〜、B1の時に課題でまとめた資料があったので、ためしに置いておきますね。

【PDF】非線形シュレディンガー方程式 with 解の存在と一意性定理

こうすれば、みえるのかしら。

何について書かれているかと言うと、ただの「常微分方程式の解の存在と一意性」に関する話です。面白いのはまとめている本人だけ。なんでこんなにセルフネガキャンしてるんだろう。まあいいや。

内容としては、解の存在と一意性に関する証明はわりと基礎からしっかり書かれています。けど、肝心な非シュレディンガー方程式(Nonliner Schroedinger Equation/NLS)に関しては、解の導出の方針だけは記しましたが、計算過程は詳しくは書いてないです。

一つだけ、コメントするとすれば、このPDFの大部分の話題は解の存在と一意性ですが、最終章での話題は

「非線形の偏微分方程式って普通は解けないんだけど、非線形シュレディンガー方程式は特殊な状況下では一意的大域解を求めることができる。」

と言うものです。確かにとても偉大な”解の存在と一意性定理”のおかげで、主張は支えられてるけど、非線形シュレディンガー方程式がうまく解析的に解けるのは、この方程式の中になんかイイカンジにいくつかの保存量が存在するからの様に感じます。このことについて詳しく知りたい方は、例えばこのサイトとかを覗いてみるといいと思います。

【驚きの展開】おはよう。

こう、最初に投稿する時って、面白いタイトル付けようとするとなかなかハードル高いですね。無難な候補にはどんなのがあるでしょうか。

  • はじめの一歩。
  • はじめまして。
  • こんにちは。

とかかな。まあ、少しくらい捻りたいし、「こんにちは。」みたいに挨拶の時間帯を昼に制限する理由もないから、おはようございます。とかにしておくか。

いや、丁寧すぎるし、おはよう。くらいにしておけば、きっとめっちゃウケるだろう。

このブログでは、主に以下の様なカテゴリーに属することを記していきます。

  • Web開発
  • 数学
  • 物理学
  • 哲学
  • 音楽
  • 備忘録

まあ、時間があったら、みてください。

なんか、タイトルが弱いから、よくある【驚きの展開】とか付け加えておくか。